PROFILE


ちょっと自己紹介(なぜ,聴導犬のボランティアをするようになったか?)

○○年も前にさかのぼります。当時高校生だった私の友達に,点字で文通をしていた人がいました。 もう,ただ驚いて感心するばかりで,そのうち習ってみようかななどと思いました。そして大学に入り様々な人と出会い,ボランティアをしている友達ができて,ふと高校の時の友達のことを思いだしたのです。私にも何かできないかな…私ができそうなことはないかな?と考えました。

 父の影響で動物が大好きだったのですが,小さいときから体が弱くすぐ流行っている病気になりがちで,飼っていた犬を手放したことがありました。捨てられている猫や犬を家では飼えないとわかっていたので,友達とかわりばんこでダンボールで飼った覚えもありました。そのたびに,いつか動物に関係することをしたいとも思っていたのです。そうだ今ならできるかもしれない,と思い卒業する年に新聞欄をチェックしたり,職安にいって仕事を捜しました。たまたまその頃,盲導犬のことをテレビで見たのです。訓練士さんと歩いている時に車が走ってきて,「GO」といっても服従しないという内容でした。車=危ない=止まるということを犬に訓練している放送だったのです。図書館で調べて本を読んだりしました。できたら訓練士になれないかな…そんな考えが浮かびました。しかし,反対されました。両親を説得するほど自分の中で煮詰まっていなかったですし,家を飛びだしてまでという強い意志はなかったので,結局私は諦めてしまいました。でも,いつかなんらかの形で関われるその日がくるまで,気持ちをずっと温めていようと思ったのです。

 結婚をし,子供ができ,子供の手がかからなくなりました。ある時,ユーザーさん&盲導犬と一緒に皇居一周を歩くイベントに参加したのです。そうだ!パピーウォーカーならやれるかもしれない,そう思ってイベント終了後,主催者のかたに話してみたのです。そして,名刺をいただきました。家族で話し合い,とりあえず電話をしてみようということになりました。数日後,「日本盲導犬協会」へ電話をしました。パピーウォーカーとしての条件を伺い,もしかしたらできるかもしれないと思ったのです。ところが,致命的なことがありました。「車の運転ができない」
当時,主人は長野県に単身赴任をしていたので,必ず毎回訓練センターに行けるかどうかわかりませんでした。それが原因で,残念ながらパピーウォーカーを断られたのです。仕方のないことでした。

 そして,そのすぐ後で「聴導犬」の話が出てきたのです。仕事の関係で主人は,伊那保健所の所長さんと知り合いになりました。その方から聴導犬の話を伺ったのです。「一度,見学されたら?」という言葉に二つ返事で家族揃って行きました。
 1997年5月の連休のときに,初めてデモンストレーションのお手伝いをしに行きました。後で考えてわかったのですが,そのときの関わり方=私達親子のソーシャライザーとしての面接だったのですね。6月から,いまは日本聴導犬協会の代表犬となったタカのソーシャライズを担当することになったのです。



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